ITエンジニアの視界

35歳を超えてもエンジニアリング領域で生きるITエンジニアの見たもの感じたことを発信していきます。

新人が凡庸になるのは大人のせい

そらそろ新人が配属されてくる。昨年度の新人が先輩になるわけだ。約三つの四半期を経て彼ら二年目は先輩になる。彼らは成長してくれたと思うんだけど、そうは感じられない様子。真面目というか、なんというか。

さて、新人教育ってのには前々から疑問があった。仕事を覚えるという名目・目的で行われる「先輩のお手伝い」ってやつ。こいつはぶっちゃけ「技術者としての芽を摘んでる」行為だと思う。

新人には、仕事そのものを教えるよりも、プログラミングなり設計なりをいくつか通しでやらせるべきだ。その方が投資に対する見返りが見込める。逆に、仕事を教えるのは見返りがない。

「先輩のお手伝い」とはすなわち「雑用」だ。雑用だってもちろん勉強にはなる。只もったいなさすぎる。一年目に強烈にあって二年目には薄れるものがある。「盲目的なやる気」だ。言い換えれば「吸収力」になる。一年目は良くも悪くも仕事を知らない。やる気を折るような題材でなければ、文字通り一所懸命に取り組んでくれる。この時期にプログラムや設計を経験させず、テストや資料作成の手伝いをさせるのは、彼らの吸収力を無駄に使うことになっている。その証明が、雑用を新人にやらせている大人の姿である。彼らは総じてプログラミングや技術については疎い。新人は一度雑用を経験したら、それが(指示を受けたちゃんとした)仕事だと感じて、最優先になってまう。先輩の仕事はちゃんとした仕事であって、その手伝いなので否定はできず、流れに呑まれるのを止める事はできない。そうして新人の吸収力は技術から遠ざかる。やらされ仕事に不平不満を持つようにもなる。

打ち合わせや調整は、技術的なバックボーンを得た後でも掃いて捨てる程に経験する機会は巡ってくる。一方でプログラミングや設計に携わる機会は社会人生活でそう回数は巡ってこない。プログラミングや設計をせずに一年目を過ごしてしまったら、極論、プログラミングや設計を避けて上手くやり過ごす人間になってしまう。いずれ立場や役割で逃げられなくなってから大変な苦労をし、ろくでもない物を産み出してしまう。犯した失敗でさらに避けるようになってしまう。

そんなことはないって?知ってる奴はそんなことを言わないんだよ。そして、そう言ってしまった"あなた"は手遅れなんだね。

新人には技術的な体験をさせなければならない。社会人としての仕事やスキルよりも。彼らに「先輩の手伝い」なんて無駄な時間を過ごさせるな。

昨年度、自分の目と口が届いた途中までは芽は育った。離れてから芽の成長は止まってしまった。今年はもう少し何とかする。

 

ちなみに、一年目が「わからなければ先輩に早く聞く」というのは正しい教えではない。一年目は「自分自身でわかろうとする事」を重視すべきだ。「わからないことは聞かないと不安で動くことすらできない」なんて人間にしちゃならない。「自分自身で調べて、先輩に確認をとる」という人間が必要で、そうなってもらいたいのだから。