ITエンジニアの視界

35歳を超えてもエンジニアリング領域で生きるITエンジニアの見たもの感じたことを発信していきます。

コミュニケーション能力という害悪

タイトルがよろしくない。

趣旨は「大事なのは相手の主張の意味と意図をくめることだよ」です。

コミュニケーション能力という言葉が出てきてしばらく経って、伝える方面の流行に始まり傾聴が大事だとか言う話になってきたなと、風の便りから思うわけで。コミュ障的で自分にコンプレックス持ってた私は、ふと思ったのでした。極論、この手合いの話はクソだなと。

とかくエンジニアの話は分かりにくい。分かりやすくしようと比喩を交えたところで分かりにくい。結論から簡潔にと要望を受けて端的に結論から言うと、経緯がわからんし理由もわからんと言われ、理由を説明するも2,3理由が続けば難しいと言われる。これはコミュニケーション能力の問題か?伝える能力の問題だろうか?だろうな。下手くそなんだ。

ではない。この事が示すのは、「それは題材自体が、本質的に複雑で、正しく簡潔には説明ができないもの」だということなんだね。そうわかった。

人ってのは、ものを理解する時には自分の持ってる知識と経験を使うはずで、それ以外は情報や体験が必要だよね。平易に言えば、前提知識が必要な題材はその知識を得てからじゃないと理解できないってこと。当たり前ってね?

日頃を振り返って欲しい。説明を受けてわからないことがあったらどうしてるか。本当に必要なのは何か。伝え上手でも聞き上手でもいい。行動なんて見かけや体裁は些細なこと。

自分が話し手の意図をくめてないときの、話し手が口にする、自分の意に反する意見・呟きを軽視しちゃならない。それは、話し手の方が自分よりも知識や経験を持っていて、危険だと言っている警告に他ならない。

コミュニケーション能力なんて言葉に踊らされるな。「相手の主張の意味と意図をくみ取る」事ができなければ、伝え方も傾聴も価値を持たない。行動論や性能のようなコミュニケーション能力というのは、本質に対して害悪だ。そう思う。

エンジニアリング領域において、簡潔とは本質をストレートに言うことと等しい。枝葉がなく幹だけだから見栄えが悪いが、例外を除く枝葉の説明を包括する。もし、エンジニアが答えた質問の回答を簡潔に言い直させて納得したなら、気をつけた方が良い。きっとあなたの課題解決にはまだ障害がある。

システムは突き詰めると0と1の二択の世界だ。人どうしが融通して課題解決できるような柔軟性は、そもそも存在しない残酷で正しい世界なのだよ。